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頭の中をことばにする練習帳

日々考えた物事を書き記していきます。思考を文章へアウトプットする練習として。

2017年3月 時間の使い方

日記

ブログを書かないまま一ヶ月過ぎてしまいました。

 

今月は平日もよく働きましたが、土日も休日出勤やボランティア活動、プライベートなイベントの準備や打合せなど・・・自分の時間と体力を目一杯使った一ヶ月後でした。

 

その合間に趣味の習い事や映画観賞(アニメ映画の“sing”を観ました)にも時間を使いしっかり息抜きしました。

 

ホワイトデーには美味しいチョコレートとお花を頂いたり、職場の同僚からお花やお祝いを頂いたりと暖かく和やかな時間も過ごしました。

 

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レオニダス(Leonidas)のチョコレート大好きです。一粒ずつ、味わっていただく時間が至福。

http://www.leonidas-alex.jp/about

 

 

でも、来週受けるTOEICの勉強や、ブログを書く時間を取ることをしませんでした。これらは目が回る忙しさを抱える今の自分の中で明らかに優先順位が低いです。

 

今すぐやらなくても困らないことですが、自分がなりたい将来像のためには少しずつでもコツコツと時間を取って継続したいと思いますので、4月は将来のために使う時間も取ることを目標にしたいと思います。

 

一年後の自分を描きながら食事する

言葉メモ 食事

 

言葉メモ。

 

出展は本屋で立ち読みした書籍。色々読み漁っていたので書名は失念してしました。

 

本屋を出たあともウィンドウショッピングをしたり、仕事のメールをチェックしたりしていましたが、それでも頭に残っている言葉なのでここに記しておきます。

 

『一年後の自分を描きながら食事をする』

 

 

ふだんの私のランチは、仕事の合間の限られた時間内でいただくため、職場のおじさま方とささっとラーメンを食べたり、コンビニでおにぎりやサンドウィッチを買って済ませてしまったりすることがほとんど。

 

でもその毎日の積み重ねで自分の体ができていくんだと思うと、このような食事内容は考えものです。

 

一年後、スリムで軽やかな体でいるために。

十年後、詰まりや痛みのない体でいるために。

 

毎日のランチメニューにたんぱく質やフレッシュな野菜を取り入れることはとても大切だと改めて気づかせてくれた言葉です。

 

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写真は、スペイン イビサ島のレストランでいただいた食事の一部。美しい景色を見ながらいただく食事とお酒はとてもhappyな気持ちにしてくれます。

 

いつまでも大切な人や友人との食事の時間を楽しむためにも、まずは健康な体が必要。不健康な食事の積み重ねで病気になり飲食の制限を余儀無くされては元も子もありません。

そうでなくても日々食べ過ぎている事を後悔し、楽しむべき食事を楽しめなくなってしまっては勿体無いと思うのです。

 

今、自分に与えられてる健康な体を大切に。

 

そして美しくなる食材を意識して取り入れ、未来の自分が喜ぶ食事をとるよう心がけていきたいと思う今日この頃です。

 

感動を言葉で伝えられること

言葉の練習

2年ほど前から区のスポーツジム施設に通っています。

 

過去にダイエットしよう!と息を荒げ、月会費8000円ほどの会員制のスポーツジムに登録したこともありますが、仕事の忙しさを言い訳に習慣付けられず、挙げ句の果てに寒い日は出掛けることさえ億劫になり、結局ほとんど通わず退会してしまいました。

 

その点、区のスポーツジムは一回400円という手軽さで、運動したいと思う日だけサクッと行くことができます。設備は最低限ですが週に一度のペースで通い続けることができています。

 

ここの施設は高齢者利用が無料ということもあり、私がよく行く土曜日の朝はお年寄りの方がとても多くいらっしゃいます。いくつになっても自分の体と前向きに向き合う人生の先輩方の姿は心から尊敬できるとともに、目指したい姿です。

 

私の場合、会員制のジムで若く美しい肉体に磨きをかける方々を目にしていた時は、モチベーションが上がるどころか自分のコンプレックスばかりに目がいってしまい焦りやネガティヴな気持ちに囚われてしまっていたので、今の施設は自分の心にも合っているのだと思います。

 

そんな区のスポーツジムで出会った81歳のとても素敵な女性がいます。週に3〜4回ジムに通い、毎回1.5時間ほどかけて筋トレやストレッチをしたり、トレッドミルで早歩きをしているそう。

 

毎週顔を合わせるうちに挨拶をするようになり、何かのきっかけで話しかけていただき、今では彼女に会うことがジムに行く楽しみになっているほど。

 

ゆっくりとした動作と、上品な言葉づかい、明るく穏やかな笑顔には会うたび癒されています。

 

その女性から声楽の発表会があるからと、先日ご招待していただきました。発表の場は区の公民館で行われる文化祭の催し物の一部。

 

ジム以外の場所でお会いすることは初めてだったので、とても楽しみな気持ちで伺いました。

 

公民館という場所だったため、軽い気持ちで伺いましたが・・・

ピアノの演奏が始まり彼女が歌い出すと、そこは公民館ではなくまるでオペラ劇場にいるかのような雰囲気に一変。

公民館中に響き渡る声量と、伸びやかで美しい歌声、情感溢れる歌い姿にびっくりしてしまいました。まさに日頃からジムで鍛練され続けているからこその賜物。

 

声楽は学生時代から続けられているそうなのですが、いくつになっても人前で披露する場を自分で作り、歌うことと向き合い、人生の経験を歌を通して表現する姿に心から感動しました。

 

そして歌い終わった彼女に、いざ感動の気持ちを伝えようとするものの・・・『すごかったです!!』という単純な言葉しか出てこないかなしさ(汗)

 

後日、記念撮影した写真を現像し手紙を添えてお渡ししようとペンを取るも、陳腐な言葉しか浮かばず・・・改めて自分の語彙力の無さ、言葉を通じて感じたことを伝える力の無さにガッカリしてしまいました。

 

でもこうして現状の自分とありたい姿のギャップが示されるいい機会となりました。

 

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これからの人生で思いを言葉にして伝えたい場面に遭遇したとき、情け無い思いをしないためにも、言葉の使い方の勉強をゆるりと続けていきたいと思う、そんな今日この頃です。

 

 

写真は昨年夏に訪れたカタルーニャ音楽堂の内部。この時は館内見学をしただけですが、いつか観劇したいと思っています。その時は感動を美しい言葉で伝えられるようになっていますように。その情景が思い浮かぶような言葉で伝えられますように。

祈ること、祈る場所

言葉の練習

数年前、旅行で訪れた軽井沢

 

ことりっぷを片手に見どころ巡りをする中、『石の教会-内村鑑三記念堂』も訪れるべき観光地のひとつとして見学することにしました。

 

ことりっぷに掲載されている写真を見ただけでも神秘的な様子は伝わってきましたが、実際に礼拝堂の中へ足を踏み入れると、そこはまさに祈るための空間でした。

 

 オーガニック建築という自然の一部として存在するこの教会は、自分自身も自然の一部なのだということを思い出させてくれ、自然と涙が溢れしばらく動くことができませんでした。

 

この世界や宇宙、そして神様のような偉大な何かもまた自然の一部であり、自分とつながっているということも直感的に感じさせてくれました。

 

 

内村鑑三氏が唱えた『無教会思想』に基づくこの場所は、

『信仰を持っていなくとも心のどこかに祈りたいという思いがある人、キリスト教者でありながら祈るべき教会のない人、そして、勇ましく高尚なる人生を遺したいと願う人々、そんな人たちに内村鑑三の思いを伝えるためのMementoなのである(石の教会ホームページより抜粋)』とのこと。

 

 

 この教会を設計したケンドリック・ケロッグ氏は自然と調和するオーガニック建築を徹底的に学び、唯一無二というコンセプトの元、その土地の特徴やテーマに合った建築物を設計されているそう。

 

 

この教会、中の礼拝堂が素晴らしいのですが、外観もまた特徴的で、その見た目はまるでナウシカ王蟲のよう。

 

礼拝堂の中もナウシカの植物研究部屋?の雰囲気を思わせ、自然と対話するナウシカ姫の歌声がぴったりと似合うと思うのです。


Nausicaa (lalala)

(ランッランララランランラン・・・宮崎駿氏の娘様のかわいい歌声が印象的。)

 

教会の見た目や礼拝堂内の雰囲は、昨年の夏に訪れたスペインカタルーニャ州にあるアントニオ・ガウディの建築『コロニア・グエル地下教会』の雰囲気にも通ずる所がありました。

 

こちらは閑散としていて、訪れたとき私たち以外の観光客はいませんでしたが、ひんやりとした石の感触と、個性的なステンドグラスから入るあたたかな光を存分に味わうことができました。

 

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 コロニア・グエル地下教会の内部。軽井沢・石の教会の礼拝堂は写真撮影禁止のため、こちらの写真を。

 

 

無教会思想というコンセプト(理念)は、特定の宗教や宗派による信仰は持たないけれど、慣習としての祈りが染みついている日本人にとっては馴染みやすいのではと思います。

 

キリスト教徒のように毎週日曜日に教会へ行き賛美歌を歌うことや、イスラム教徒のように日に5回メッカの方向に向かってお祈りをするような熱心さはありませんが、お正月には多くの日本人が初詣に行き祈りを捧げます。

 

日本のお正月の初詣参拝者数は、明治神宮317万人、成田山新勝寺300万人。これ以外にも日本全国初詣に参拝する人がいるので、それはもうもの凄い数の日本人がお正月期間、祈りを捧げているわけです。

 

イスラム教の聖地メッカを大巡礼するハッジの時期に世界中から集まる巡礼者の数はおよそ300万人。

 

キリスト教の最高位聖職者であるローマ法王 ヨハネ・パウロ二世の葬儀をバチカン周囲で見守った一般信者は200万人以上、とのこと。

 

 

こうして数字をみると、無宗教と言われる日本人も他の宗教信者に負けず劣らず信心深いですね。

 

特定の宗教を信仰しているという意識はなくても、心のどこかで祈ることを大切にしている日本人。というか私自身。

 

 

石の教会を訪れ、内村鑑三氏が唱えた『無教会思想』の理念に共感し深く感動したため、いつか結婚することになったら、この場所で祈りたいと思うようになりました。

頭の中を文章で表現する練習

言葉の練習

 

なぜ私が自分の頭の中を整理して、文章化する練習をしようと思ったのか。そのきっかけを書いておきます。

 

私のこれまでの人生では、自分の考えをうまく言葉にすることができなくても、私が発した言葉からその意図を理解しようとしてくれるやさしい周囲の人たちに恵まれていたので、二十数年間はいかに思考を言葉にするかについて重視していませんでした。

 

しかし二十代の半ばから後半にかけて、母親との会話に強いストレスを感じるようになりました。

 

なぜ大好きな母親との会話が噛み合わず、これほどまでストレスになってしまうのかと考えた時、それは母親の気持ちやその時の状況、立場を配慮せず、思い付くままの言葉を言い放ち、その発言の受け取られ方をあまりにも相手任せにしていたことが一因だと気付きました。

 

相手に理解してほしいと願うならば、どのように伝えれば、相手は理解してくれるだろう?ということをまずはじめに考えなければいけないのです。

 

当たり前のことのようですが、今までは周囲の優しさと理解力に頼って、自分が思うまま話すことばかり考えでいました。

 

また一方で、母親も私と同じなのだと気が付きました。母娘なのだから、思い付くまま話せることが何よりも楽しいのだけれど、一番自分のことを理解してほしい相手だからこそ、どのタイミングで、どのような言葉で、どういう順序で伝えれば理解してもらえるか?を考える必要があったのです。

 

いつもうまくいく訳ではありませんが、徐々に母親との会話にストレスを感じる回数が減りました。母親も私のことを気づかい、電話できるタイミングを事前に聞いてくれたり、要点だけに絞って話をしてくれるようになったのです。

 

もしくは、元々そう心がけてくれていたのに、私が気付けなかっただけかもしれません。

 

もちろん仕事でも、自分の考えや共有すべき情報を相手に理解してもらうことは重要です。

 

伝える相手は自分と全く違うキャリアだったり、異なる年齢・立場だったり、知識量に差があったりします。また伝える相手は1人なのか、数名なのか、超大人数なのかという状況によっても伝え方は様々です。

 

私の叶えたい夢は、色々な人の考えを知り、理解し、見たことのない景色を見て、自分の世界を広げることです。

 

そして自分の知った世界を色んな人と共有したり、意見交換することもその先の夢です。

 

そのためには語学や文化、政治・経済、宗教などの勉強も必要ですが、何よりもまず私に足りていないのは、自分の考えや情報の伝え方、受けとり方の感性を高めることだと感じるのです。

 

少しでも進歩しますように。そして夢が叶いますように。と思う今日この頃です。

大人になって見なくなった夢

その他 お題

子どもの頃は定期的に見ていたけれど、大人になってからめっきり見なくなった不思議な『夢』があります。(ここで話す『夢』は睡眠中に見る方の夢です。)

 

私はよく体調を崩す子どもで、一週間吐き戻しが続くこともあり、毎月のように小児病院に入院していました。

(両親は大変だったと思います。根気強く面倒を見てくれてありがとう。)

 

身体が大人になっていく中学〜高校生くらいには徐々に症状が和らぎ、20代半ばからは誰よりも健康なほどです。

 

 

 

子どもの頃、具合が悪くなるとよく見ていた夢があるのですが、大人になって体調が安定してからはまったく見ることが無くなりました。

 

普通の夢とはちょっと感じが違う、不思議な、特別な夢だったので、見なくなった今は少しさみしい気もしますが、よく見ていた当時は怖くて怖くてたまりませんでした。

 

その夢は“映像”のパターンと、“感覚”のパターンがあり、多くの場合、一度の夢でどちらも見ます。

 

 

まず【“映像”パターンの夢】ですが、

 

・私は近所の公園や野原、道端などで友だち数人と草むしりをしている

 

・すると空からとてつもなく大きな女王様が降りてきて、私たちを踏み潰そうとする

 

・逃げれば助かることもできそうなのに、私たちは草むしりを止めることが許されず、その場から動くことはできない

 

・草むしりは、100万回とか果てしなく無限にむしらなければならない。もはや数えることもできないほどの回数だけど、永遠に数え続けなければならない。

 

そしてこの後、たぶん踏み潰されるんだと思いますが、そのあたりから夢は“感覚”のパターンに移り変わります。

 

 

【“感覚”のパターンの夢】は、

 

・とてもごちゃごちゃな感覚。白い紙をぐちゃっと丸めてから広げたようなでこぼこした紙に、ボールペンでぐおぉりゃ〜ぁ!!と書き殴る感じ。絡まっている。黒い。ノイズ。混沌。

 

 

・その後、急に静かになる。真っ白でなめらかでどこまでも均質な空間。そして無音。何もない。白い。ドラゴンボール精神と時の部屋

 

 

・そして今度は重さに対する感覚がおかしくなる。シャープペンシルの芯や糸のような、限りなく細くて軽いものが、岩石や大型タイヤのように固く大きく重いものを支えている。本来なら絶対にあり得ないバランス感覚が気持ちわるい。重力の法則がおかしくなる。車酔い。上と下がわからない。

 

 

 

 

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インターネットであらゆることについて情報収集できる時代なので、この夢についても調べたことがありました。

 

すると、同じような夢を見た経験のある方がたくさんいることが分かりました。

 

その方達の共通点として、子どもの頃に体調を崩しやすかったり、高熱を出しやすかったという点がありました。

 

イギリスの作家ルイス・キャロルも同様の症状があり、その体験を踏まえた作品が『不思議の国のアリス』であると言われていることから、これらの症状を『アリス症候群』と呼ぶこともあるようです。

 

たしかに、アリスの身体が大きくなったり小さくなったりする不思議な感覚や、落ちているのか昇っているのかわからない様子には親近感を覚えます。

 

 

最後にこの夢を見たことを記憶しているのは20歳くらいなので、この夢を見なくなってから10年ほど経ちました。

 

もう体調を崩すのは御免ですが、久しぶりに不思議な夢を見てみたい気持ちもあります。

 

自分の意思や何かのきっかけで見れる方法があれば知りたいな、と思う金曜日の夜でした。